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ナンパの為のネットビジネス塾②

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僕が入ったネットビジネス塾の塾長の○○さんは過去に20代前半という若さで「離婚」と「貧乏」という二重の苦しみを味わい、鬱病寸前まで追い込まれていたらしい。。


どん底を経験したんやな…


ネットビジネスは全くの未経験。アフィリエイトを知ったのはごく最近のこと。資金、知名度、知識が全くない所謂“ノーブランド”人間。


それが○○さん。


スタート時は今の俺と全く同じやん…



↓ここから○○さんの文章の引用↓


私が20歳の時は、サーフィンにハマっているどこにでもいる若者でした。
将来について真剣に悩むこともなかったし、「きっとどうにかなる」と思っていました。

30代後半まで、自分の好きなことをとことんして世界中を旅して、独身生活を謳歌してから結婚でもできればいいな…などと考えていました。

「たぶん、自分が30歳、40歳になれば自動的に立派な大人になるように出来ているんだ」
あなたもそうは思わないまでも、それに近いニュアンスに心当たりはありませんか?

10代、20代の頃に自分の周りにいた大人達は、こう言うのもおかしな話ですが本当に「大人」で、
自分が同じように大人になることに全く現実味がないような漠然とした感じです。

少なくとも私は「将来とか人生とか、そんな小難しいことは大人になってから考えればいい」と思っていました。

しかし、そんな行き当たりばったり主義の青春時代は唐突に終焉を迎えることになります。当時付き合っていた彼女の妊娠が発覚したのです。


その当時はいろいろ悩みましたが、やはり赤ちゃんをおろすということは到底考えられませんでした。そして、20歳で、できちゃった婚です。


10年後、20年後に訪れるはずの未来が突如、目の前に現れ、それから私の生活は一変したのです。


ただ、決してネガティブな意味合いではなく、「これからの人生、奥さんと子供のために頑張ろう!」、
そう現実を受け入れた、言うなれば決意の変化でした。

しかし…


そんな決意も束の間、お互い若く、まだまだ遊びたい盛りです。すぐに喧嘩の絶えない日々が始まりました。


「何であんな些細なことで喧嘩していたのだろう?」
「自分の器がもう少し大きければ違う結果になったかも知れない…」

今でもそう思うことがありますが、若さゆえにお互いが好きなようにやりたいことをしながらの子育て…
あなたにお子さんがいるならわかると思いますし、きっとこう言われると思います。

「甘い!」と…。

案の定、23歳の時に奥さんは家を出て、二度と帰ってくることはありませんでした…

25歳で離婚です。

一人娘は、何度もの話し合いの末、私が引き取ることになったのですが、離婚が決まり、前の奥さんを泣かせ、前の奥さんの両親、自分の両親を泣かせ、迷惑をかけたことは今でも私にとって最も辛かった出来事です。


さぁ、ここからが不幸の本番です。

離婚に追い打ちをかけるように当時勤めていた会社が不景気の煽りをうけ、倒産の危機に追い込まれたのです。

入社した時はあった海外社員旅行はもちろんなくなり、ボーナスも当たり前のようになくなり、さらに毎日の仕事すら、ものの見事に減っていき…最終的に給料は手取りにすると10万円以下になっていました。

「バツイチの男が一人娘を引き取り、月収は10万円以下」

一人で暮らしていくだけでも困難な月収で娘をどうやって育てればいいのか…?さらに日本全体が不況のど真ん中なので転職するにも転職先がなかなか見つかりません。

金銭的にも精神的にもとことん追い込まれてしまった私は


『もう死ぬしかない…』


と思ってしまいそうなものですが、私にそれは許されませんでした。なぜなら、娘は絶対に私の手で立派に育てなければならないと思っていたからです。

私は、一番大切なもの(奥さん)を失い、周りの方々に多大な迷惑をかけました。

だからこそ「娘にだけは絶対に幸せな人生を歩ませてあげたい、そのためだったら何でもするし何にでも耐えてみせる」と心に決めていたのです。

ですから私も少ない給料を何とかしようと精一杯頑張りました。

でも現実はそんなに甘くありません。不景気の煽りの中で業績を立て直すのは、とても難しい状況でした。

そして逃げ道も捌け口もない失望の毎日の連続に半ばうつ病に近い状態に陥ってしまったのです。


『本当の地獄はこの世にあるんだな…』



とことん落ちぶれた私は、ふとそんなことを思うようになりました。「波乱万丈の人生」などと生温い表現で伝え切れるものではありません。

「これはまさに地獄じゃないか!」

その状況を例えるなら土石流のように押し寄せる責任や支払い請求を、ペラペラの紙のような防波堤で防ごうとするようなものです。

守ると決意したものを守る力もなく、そればかりか自分ひとりが生活していくことさえ難しい、
かと言って、親としての責任を放棄するという選択肢は毛の先ほどもない。

「俺は本当に駄目な人間だ…」

それを認めてしまうことが人間にとって何より不幸なことと知りつつも、残念ながら否定するだけの材料が自分には一切なかったのです。

しかし…

そんな崖っぷちの毎日の中で私の支えになってくれたのは、娘と両親の存在でした。

娘は、裕福な家庭の子供のようにお菓子や玩具を買ってもらいたいと思っていたはずです。
「物心がついた時には既に母親がいない」ということで寂しい思いもさせました。

にも関わらず、娘は帰りの遅い私を文句一つ言うことなくいつも待っていてくれました。そして、両親は片親であり子育てに手が行き届かない私をいつもサポートしてくれました。

そこに目が向けられて初めて重要なことに気づいたのです。



『家族は人生を共有している。』



それまで私は自分だけが大きな責任を背負い、不幸な環境と孤独に戦っているものと思っていました。

しかし、それは幼い娘、そして両親にとっても同じことだったのです。

忙しい私に心配をかけないように娘はたくさん我慢をしてくれていて、両親もそんな私を何度も助けてくれていたのに、そんなことを気に留めることもなく、ひとり勝手に落ちぶれ続けていた自分を心底情けない奴だと恥ずかしく思いました。

それと同時に、


「自分は何をやっているのか?」
「何のために生まれてきたのか?」
「せっかくの人生このままで終わっていいのか?」


そう考え始めたのです。


「現状を変えるなら今しかない」

それから私は2つの挑戦をする決意を固めました。

一つは治療院を経営すること。当時、私自身が精神的に病んでいたので精神状態、健康状態に携わる仕事をしたいと考えたのです。

そして、もう一つはアフィリエイトで稼ぐということ。

もちろん自分で稼ぎ豊かになりたいという気持ちもありましたが、自分が実際に稼ぎ、その方法を以前の私のように苦しい日々から抜け出せず悩んでいる人達にシェアすることでお役に立ちたいと思ったからです。

その結果、治療院の年商は初年度から約一千万円、アフィリエイトは毎月平均して40~50万円ほどの報酬を
稼ぐことができるようになりました。

これまでの私の結果は、おそらく恵まれた人生を送っていたら、出せなかったものだと思っています。


「本気で人生を変えてみせる!」という強い気持ちが、私にとっての「小さくても価値のある成功」を手繰り寄せたのだと感じています。

そして現在、溺愛する一人娘は、現在中学2年生になり大分お姉さんになりました

娘と両親には何度謝っても足りないし、何度感謝しても足りません。守るつもりでいた私を逆に守ってくれていた、本当にかけがえのない存在です。

ただそんな私にも一定の自負はあります。私は自分の人生に真っ向から挑戦し、そして未来を変えました。

決して自然と事態が好転していったのではなく、具体的な動機と行動をもって、不幸な現実を打ち破ったのです。



今、業界はアフィリエイトノウハウで溢れかえっています。ただ、毎日15名前後の患者さんに施術を行うために12時間働いているような私が、結果を出すためのノウハウは限りなく少ないと思えてならないのです。

あなたもこうは思わないでしょうか?「実践できれば稼げるだろうけど実践できない」

幸運にも私は効果のない詐欺的なノウハウに出くわしたことはありませんが、強いて善意に解釈しても完全に敷居の高すぎるものばかりがクローズアップされているように思います。

では、そんな中で私はなぜ、たった30分の作業時間で毎月40~50万円のアフィリエイト報酬を得ることができるようになったのか?






③につづく


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